奥多摩町が誕生したのは、昭和30年。
その2年後に小河内ダムが完成し、また48年に檜原村に通づる奥多摩周遊道路(旧名:奥多摩有料道路)が開通します。その流れを受け、奥多摩を”都民の憩いの場”として緑や水を求める観光客が、年間180万ほど訪れるようになりました。
そのころ時代は「多消費型」から、自然に親み見ながらのスポーツやレクリエーションなどの「健全観光型」へと移行していた時期。これまでよりも、個性的で自由に余暇を楽しみ、またライフスタイルも自然環境の良い場所に身を置きたいと考える人々が次第に多くなりました。そこで奥多摩町は、地域の貴重な資源をさらに開発と保全を行なうこと、そしてより多角的な観光産業の開発を図る動きが活発になっていきました。
この波を各産業一丸となってさらに大きくすること、そして大きな課題であった”地域の過疎化”に歯止めをかけるため、58年に官・民共同出資の第三セクターを設立します。その事業のひとつとして、60年に「四季の家」の前身となる奥多摩特産物加工施設は生まれました。
[参考:「奥多摩町誌 歴史編」p.947-949]
白丸駅から徒歩8分の場所に位置する「四季の家」は、奥多摩の湧水で仕込んだ無添加お味噌を製造・販売することから始まりました。
毎年時期になると、直売所に併設されている工房にて、スタッフ総出で何